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My Style

日々の暮らしをシンプル・スマートに。

東京ばあちゃんのおしゃれ観に影響を受けていた私

ブログ

私の父方の祖母(故人。ちなみに父も故人。)のことについて書きます。

祖母は東京で婦人服専門店を一人で経営していました。小学生の頃、毎年夏休みになると私と兄は祖母のところにロングステイしていました。私たち兄妹は祖母のことを「東京ばあちゃん」と呼んでいました。

当時の年代的に、原宿や渋谷などの若者の街に行く感じでもなかったこともあり、祖母の妹が住む埼玉や豊島園や祖母が住んでいた台東区根岸から日暮里界隈で遊んでいました。

(その後社会人になり、婦人靴の商品担当の時に浅草と関わるように。祖母の住んでいたところと意外に近かった事に驚きました。縁があったのかな?)

祖母は当時50代後半でしたが、見た目が若かったのでした(というかケバい)。祖母と一緒にいて「お母さんと一緒なの?」と他の人から言われると、子供心におばあちゃんおばあちゃんしていない祖母がちょっと嫌で「違うよ、おばあちゃんだよ」と必死に否定していました。

その後私が中学生になった年に、父が祖母を東京から呼び寄せ、東京人と我々関西人の同居が始まりました。さすがにもう東京ばあちゃんとは呼べないので、「おばあちゃん」と普通に呼ぶようになりました。

祖母は相変わらずおしゃれさんで、関西の「おばあちゃん」とは大きくかけ離れていました。普通この近所のおばあちゃん年代の方は、服の色も地味、割烹着みたいな服を着ている、腰も曲がっている、白髪etc…ま、ステレオタイプですがそんな感じでした。でも私の祖母は髪は栗色(しかも毎晩カーラーで髪をきちんと巻く)に染め、ピアスをし、ネイルを塗って、お出掛けの時はダイアナ靴店のハイヒールを履くという、地元で完全に浮いたスタイルでした。またヘビースモーカーで、寝る前にはウィスキーを飲むちょいワルばあちゃんでした。

意外にも孫へのしつけには厳しく、2日に1回の廊下の拭き掃除や週1回のトイレ掃除を課し、私たちがサボるとこっぴどく東京弁で怒られました。また、料理が得意だった祖母は家の昼食を担当(我が家は当時自営業だったのです)でいろいろと作ってくれましたが、私が全く料理を手伝わないのでこれまた「お前は上げ膳据え膳でいい身分だね。」などと嫌味もよく言われました。今思うと手伝っておけばよかったな。

祖母は見た目が派手でも社交的な性格が幸いして近所付き合いもよく地元に馴染み、飼い犬の散歩友人を作ったり、海外ツアー旅行に一人で出かけてこれまた友人を見つけてきたり、社交ダンスを習いに行くなどアグレッシブに動いていました。

洋服が好きな祖母は、自分の服や私の服を買いに大阪へ月1回程出掛けていました。たまに私も連れて行ってもらって一緒に選ばせてもらったり。その後私が小売業界に就職し、馬のマークのブランドに配属されてからは、そのブランドの服を自分が着るために買ってくれたりと、年を取っても新しいテイストの服にチャレンジしてました(似合ってました!)。栗色だった髪は、紫がかった白髪に変わってはいましたが、ハイヒールは健在です。その頃には私も恥ずかしいと思う気持ちが全くなくなり、逆に自慢していました。

その後、食道ガンにかかった祖母。手術後すぐに喫煙を勝手に再開しお酒も変わらず飲んでいたせいでガンが再発。ただでさえスリムな体がさらに細くなり、寝たきりになってしまいました。

ある日、祖母が私に弱々しい声で「私の顔にお化粧をしてほしい」と言いました。私はもちろん化粧を施しました。鏡で自分の顔を見た祖母は本当に嬉しそうでした。自分がどんな状況でもキレイでありたい、と祖母は思っていたのでしょう。

その後間もなく祖母は亡くなりました。私が28歳の時です。遺影は私が成人式の着物姿を写真館で撮影するついでに「遺影用写真を撮るわ」と自分も着物姿で撮影したもの。元気でキレイなうちに写真を撮るとは…準備万端な祖母です。

祖母は祖父と離婚していたこともあり、遺骨は祖母の実家がある茨城県水戸市のお寺に。仕事で私は納骨に同行できず、結局お墓参りに言ったのは昨年の初冬。十数年も行けなかった、というか行かなかったのです。あんなに世話してもらったのに薄情な孫です。

やっと母と一緒に祖母のお墓参りに行くことになり、祖母の妹(おばさんと呼んでいます)と東京の上野駅で待ち合わせました。おばさんが現れた時、私と母はそのおばさんが祖母そっくりに年老いていたことに驚きました(元々あまり似ていなかったのに)。

雨の中、祖母の墓に到着した時、急に走馬灯のように思い出がよみがえり自然と涙がでました。「おばあちゃん、ここに来るのがこんなに遅くなってごめんね、いろいろありがとう。おばあちゃんみたいな年寄りになりたいって最近思うよ。」という感じのことを心の中でつぶやき伝えました。

不思議なことに、幼い頃は苦手だった祖母のファッションセンスは、今なら違和感がないのです。祖母は早く生まれ過ぎた人だったのかもしれないですね。周りがみんな年相応の服装でも、自分の着たい服を着る美学を貫いていた祖母。もし今生きていたら、どんなファッションにチャレンジしているんだろう…。

それだけ着るものにこだわっていた祖母ですが、残されたタンスなどを見ても、それほど服は残っていませんでした。TPOは気にしながらも、気に入っている物・今着たい物を、大事にお手入れして着るタイプの人だったと思います。そういえば同じ服をよく着ていました。もしかするとなかなかのミニマリストだったのかも?!

祖母はよく「いつでもキレイにしておかないと年取ると女性は汚くなっちゃうからね」とか「猫背はダメ、姿勢をよくしなきゃダメだよ」「ドライヤーばっかり使っていたら、髪が将来なくなるよ(この辺は迷信っぽい発言ですが)」などと私に言ってました。当時は「へーへー」と聞き流す返事をしていましたが、今は反省しています。

なんだかんだで、祖母の影響を受けまくっているようです。自分が心地よいと思う服を着て、背筋をしゃんと伸ばして、ヒールでかつかつ歩くおばあちゃんに私はなりたい…です。

 

↓日本人じゃないけど…この雰囲気に近い感じの祖母でしたね。帽子もよく被っていたな…。

Advanced Style--ニューヨークで見つけた上級者のおしゃれスナップ

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